20世紀後半のアメリカN.Y.はモダンアートの大きな渦のど真ん中。綺羅星のように登場したアーティスト達の中、1963年に新天地を求めて飛び込んだ川島猛(当時33歳)。会派、団体に属さず、憧れの猪熊弦一郎氏もいるN.Y.マンハッタンは、その後2016年の帰国まで川島にとってアートの戦いの場であった。53年を経て、故郷で残りの制作活動をしたいという思いと、海の見える工場跡という出会いが帰国を決意し、ここ川島猛アートファクトリーの実現になった。
2016年2月、彼がN.Y.で制作した作品と、生活を共にした身の回りの品々が一緒に帰ってきた。一つ一つが53年間の足跡である。
川島猛アートファクトリーは、川島の制作活動の拠点でもあり、作品保管庫であり、何よりも作品ギャラリーである。ここでは、今も作品制作の営みが行われ、制作への思いを聞くことができる。昭和から平成へ日本が辿った時代変換とN.Y.からの視点の交錯。そこから生まれた人間讃歌の作家哲学は川島のアートを通じたメッセージでもある。その意味を、多くの方々に伝える目的で財団法人化し、郷里と地域社会と次世代の皆様に発信する。
多くの人々が川島のSOHOのアトリエを訪問し、たくさんの人生の刺激と感銘を受けた年月がある。今後、アートファクトリーで、同様の交錯が起こることを念願したい。